幕間
【ドール・ワルツ・レクイエムⅡ 第十一話 〔そしてまた一人〕
2070年3月29日 放映】
———————— アニメーション映像が流れる ————————
薄暗い格納庫で、一人のキャラクター(少年)が佇む。
シャギーの入った黒い髪と黒い瞳は、東洋人をベースに設定されているからだろう。
真っすぐな面立ちは、真面目・堅物といった印象を少年に与える。
その身に、真紅のパイロットスーツを纏う。
肩や胸などには金属製のプロテクター。着る人に合わせて自動的にサイズがフィッティングするSF仕様だ。月のエンブレムが右手の甲に付く。
少年は面を上げる。
【真紅の巨大戦闘機】が彼の横に鎮座していた。
真っ赤な装甲板に、アルファベットのA(/)のような形状のボディ。中腹に、巨大な二門の砲頭を持つ。それは少年の半身とも言える機体だった。
数えきれないほど、頼り。
数えきれないほど、傷つけ。
数えきれないほど、わがままに付き合わせてしまった大切な相棒である。
少年は微笑む。
兵器として生まれたハズのこの機体に、いつしか特別な感情を持つようになっていた。声を大にして言える。コイツは自分の相棒だと。
《助けてきなさい。泣いている全ての人たちを》
少女の言葉が蘇る。この機体を少年に託した、大事な人の言葉だ。
それを刻み込むように胸に手を置く。少年はゆっくりと目蓋を閉じた。
この愛機の生みの親。
何度もケンカをし、何度も助けて、助けられて。気付けば、いつも隣にいたのに……
今はもう何処にもいない。この身が朽ち果てるまで、彼女に会う事は許されない。
「……行こう。エルフィーナ」
少年は静かに目を開ける。赤が波紋のように広がった。
少年の髪と瞳が、機体と同じく〔紅〕に染まったのだ。
「この窮地を覆す……オレと、オマエで」
少年は愛機と共に、宇宙へと飛び立つ。
Ⅱ 戦場と魔女
葵の道中は、予想外の悪路に見舞われた。
昨晩の雨を多分に取り込んでいるのか、泥で滑って戦騎装のスピードが思うように出ない。そんな葵の戦騎装を十数匹のマリスが追いかけてくる。
更に前方に五匹のマリスが現れた。
「次から次へと!」
葵が毒づく。戦騎装がスイートビーを小刻みに撃った。
まず手前の三匹が銃のリズムに乗って絶命する。残り二匹との距離が縮まる。
葵の戦騎装は銃身を縦に持ち替える。
飛び掛かってきた一匹——その顔面目がけ、銃のグリップを振り降ろす。
トン単位の鈍器攻撃だ。
頭を首根元まで潰されマリスは絶命する。
最後の一匹はすれすれで回避——すれ違いざまに腰から携行地雷を三つ投下した。ボトボトと一三〇キロの地雷が湿地帯に埋まる。
数秒後、後方のマリスが地雷を踏む。爆風が後列の敵を吹き飛ばした。
「合流したら補給しないと」
葵に敵を仕留めた感動はない。彼女にとっては台所に立つよりも簡単な作業だからだ。
葵の操縦技術は義塾内の戦騎装パイロットの中でもトップクラスである。中でも、武器選択の速さ・正確さは、他の追随を許さない。
葵が何かに気付く。すぐさま戦騎装を後方へ転身させた。
爆炎が立ち上る中、生き残ったマリスが炎を掻い潜って飛び上がる。葵は動じない。宙に舞ったマリスをスイートビーでハチの巣にした。
「一丁上がり」
ミンチになった死骸が泥の上に落ちる。直後、レーダーに味方の反応が映った。
『葵先輩っ! 大丈夫ですか!』
「っ!」
葵は二重の意味で戦慄する。おそらくは自分を追って来てしまったのであろう後輩部員。そして……後輩戦騎装の後方で影が動いたのだ。
「バカっ!」 葵は戦騎装を突進させる。次の瞬間、忍び寄っていた一匹のマリスが姿を現した。
四つん這いで上陸する獣人——二七体。
硬質の肌は岩を思わせる。全身が緑色だ。目も耳もない顔に、鼻の穴と大きな口だけをつける。この怪物たちは先に上陸した小型マリス【ポーン】とは別種に当たる。
対物・対兵器に特化した大型マリス【ルーク】の到来であった。
全長は最低でも一七メートルを下回ることはない。鎌倉の大仏が立ち上がり、動きまわっていると言えば、どれほどのものか想像がつくだろう。
辺りの臭いを嗅ぐ。何かを嗅ぎ付けたのか、ルークたちは舌舐めずりをした。獲物を見つけた獣よろしく、ルーク達は走りだす。
足の一掻きで土砂が津波になった。
ベロから跳ねた涎が幾つも水たまりを作っていく。
奴らの目的はポーンと同じ、食料の調達だった。
『ねー。麻奈美、一人で行かせちゃったけど大丈夫かな? 生途会には部長の援護に行ったって電文、送っておいたけど』
『問題ないだろ。そもそも通信に出ない、あいつらが悪い……と言いたい所だけど、今日の生途会、何か変じゃね? 部長が飛び出しても何も言ってこなかったしさ』
戦騎装に搭乗する機兵部の部員たちが、オープンチャンネルで緊張感なく話し合う。
ポイントB8——緑色が全面に広がる見晴らしのよい丘だ。
其処で機兵部と自衛隊の戦騎装部隊が展開し、マリスを待ち構えていた。
『孤立した部隊を助けに行ったんだろ? 俺も行きゃ良かった。ココつまんねぇ」
『カカシ任務クソよー。シネ! 生途会!』
機兵部に緊張の色はない。彼らは己の腕に過大なまでの自信があった。
ヘキサは、【被虐体質】の他に【才能開花】という特徴を持っている。
一般的に多いのはIQの向上だ。他にも、瞬間記憶や空間把握など、特定の技能が開花する者もいる。また肉体面に変化が訪れる場合もあり、機兵部の多くはこれに当たる。
反射神経や動体視力が向上したりと、内容は様々だ。
氷室雷鳥を頂点とする【氷室財閥】はそれに目を付けた。
若年層ヘキサを優先して氷室義塾にスカウトし、適性判断の後、各部門のスペシャリストへと養成した。そして、日本初の試みとなるヘキサの戦線投入を敢行する。
幾つかの問題を抱えつつ、その試みは大成功だった。氷室義塾はたった数年で、その道のエリートを凌ぐ子供たちを大量輩出し、日本防衛の中核機関として立場を確立させる。
政府も財閥の方針には口を出さない。否、出せないのだ。
列強各国と太いパイプを持ち、様々な有力機関に莫大な資金を援助。戦争を食い物に、肥え太った氷室に口を出せる者など、そう多くはいなかった。
『さぁーって。じゃー、ゴミ掃除だ。行っきまーっす!』
部員の一人が威勢よく言う。彼の戦騎装が最初に跳び出すと、他の戦騎装も続々と地面をめくって跳び出した。自衛隊の戦騎装は、遅れて機兵部に追従してゆく。
自動迎撃装置である高射台の陰に、葵の戦騎装が隠れていた。
葵の戦騎装めがけ、ポーンが丘を登ってくる。数は既に数十を超えていた。
「さすがに不味いかな」
葵は固唾を呑む。
メインモニターの左横——コンディションモニターは戦騎装の状態を表す。モニター上では、左膝から下の部位が赤く点滅を繰り返していた。
葵は、自分の戦騎装を盾にして後輩を守った。だが、その代償に左膝の動力バイパスを切ってしまったようなのである。葵はすぐ、檄を飛ばして後輩を離脱させる。それから自分も、目に着いた高射台の陰まで移動し、救援を要請した。
葵の読み通り、数十秒で戦騎装の下半身は制動が利かなくなった。
「……間にあって」
葵は右横にある武装モニターを確認する。武装モニターにはマガジンを使い終わったことを示す[×]マークが並ぶ。携行弾薬が尽きかけているのだ。
今、撃っている分が無くなってしまえば、残る武装は戦騎装用コンバットナイフ【バレルスライサー】一本のみ。
ポーンの大きさは戦騎装の膝上くらいだが、この状態では白兵戦などできるはずもない。組みつかれてすぐに身動きが取れなくなる。
武装モニターの残弾数がカウントダウンしていく。葵は随分前からオート斉射ではなく、単発による精密射撃に切り替えていた。
救援を願うも残弾数がとうとう二十を切る。ここで葵が抱いたのは諦観だった。
「都合よくはいかないか」
レーダーを見るも、待望する青マーカーは現れない。代わりに続々と兵隊の赤マーカーが丘を登ってきていた。
じきに自分は食い殺される。葵は他所での出来事のようにそう思った。
——引きつけるだけ引きつけたし。もういいかな。
葵はシートの横に差してある銃を見る。操縦桿から手を放そうか迷った。
「いや……甘えか、これは」
葵は自嘲気味に笑う。再び瞳に戦意を宿した。まだ戦騎装は動く。武器もある。
9、8、7……葵は一発も撃ち漏らさずにポーンたちを絶命させていく。
「どうせならやれるトコまで、」
葵は撃ち漏らさない。
精密機器のように敵の数を減らしてゆく。2、1……、
「あの人がしたみたいに、」
————電子音が空しく響く。それはゴングになった。
「前のめりだっ!」
葵の両目が大きく開かれる。



飛び掛かってきた一匹めがけ、戦騎装がナイフを薙いだ。
返り血が頭部カメラにかかる。コックピットのメインモニターに血の線が引かれた。
同じく二匹、三匹と斬り伏せる。だが片腕一本、上半身の制動だけではすぐに限界がくる。ポーンは次々と葵の戦騎装に組み付いていく。
全身がポーンで埋めつくされると、葵の戦騎装は動きを封じられた。
『まだだっ!』
戦騎装の右アームがナイフを離す。それから左肩に取りついたアントの顔面を鷲掴んだ。
『いっけぇえええ!』
モーターが異音と共に唸り声を上げる。アントの頭が、血飛沫を飛ばして潰された。
役目を終えたように残った右腕もダランと落ちる。
「……頑張ったね」
葵に応えるようにメインモニターが真っ黒になる。とうとう頭部カメラも破壊された。
「私も……頑張った」
葵はシートに背を沈ませる。誇らしい気分だった。葵は手探りで銃を抜き取る。
破壊音とマリスの奇声が、コックピットを満たしていく。しかし、葵は笑みすら浮かべて銃口をコメカミにつけた。静かに目を閉じる。
思えば短い人生だったのかもしれない。でも氷室義塾に身を預けて六年……濃密な生の実感はあった。一つだけ悔いがあるとすれば、一人の少女のことくらい。
——みんな……ばいばい。
葵がトリガーを絞る……その時だった。風切音が聞こえてきたのは。
外のマリスが絶叫を上げる。鉄が削れるような音も。
葵は慌てて銃を下ろす。マリスが奇声を上げ、次々と事切れていくではないか。
——な! なに!?
衝撃が何度もコックピットを揺すった。
機体状態を示すサブモニターが赤く光り続けている。間なしにガクンと大きな振動がした。コックピットは真っ暗になる。
「……?」
訪れたのは静寂だった。耳鳴りすら感じる静けさ。
葵は真っ暗になったコックピット内に目を配らせる。まだ壊れていなかったのか、通信機から、ザーと雑音が漏れた。そして……見知った声が流れる。
『アオイ』 「!?」
葵の思考が飛ぶ。手に持った銃を戻し、無我夢中でハッチの開放レバーを掴んだ。ハッチに隙間が生まれ、おぞましい臭気が葵の鼻を突く。
葵はひるまず、レバーを引いて一気にハッチを開放した。
外に飛び出す。葵の視界に広がったのは、血肉にその姿を変えたポーンたち……そして、葵を見下ろすように浮かんでいた〔一体のロボット〕だった。
ツバつきの大きな帽子に目がついたような頭部ユニット。
手足のないボディは、頭部ユニットから背骨を垂らし、肺とアバラ骨をつけたような形をしている。腰後ろに鉄塔を四本伸ばす。全身が真っ黒だった。
四本の蔓状のマシンアームが、左右に漂う。
この機体は、最新技術の粋を結集させた戦騎装も足元に及ばないほどの科学力を蔵する。
現在は世界に十一体、その数を確認させている。
規格名称【ネイバー】。葵が見上げていたのは、その一体である。
タロットカード・魔術師を暗示する制圧殲滅戦用ネイバー——機体名称【デストブルム】
「セレンが、どうしてここに?」
葵が当惑する。デストブルムの外部スピーカーからセレンの声が注がれた。
『アオ、イ』
声を聞いて葵の頭は真っ白になる。
『たす、けてぇ……たすけて……葵ぃ』
死すら許容しかけた葵の心が、音を立てて崩れる。セレンは泣きじゃくっていた。
「ぐっ、」
葵の中で様々な想いが錯綜する。一番大きかったのは怒りだ。無力な自分自身への。
しかし……葵は何も喋れないまま、震える指で一方を差し示す。
指す先は、ポイントB8——セレンが行かなくては行けない場所だった。
「アンタの仕事は、残っている……行って」
血を吐く思いで葵は言う。
デストブルムの外部スピーカーから、セレンの驚く声が漏れた。
葵は心が掻き毟られる。どうにかなってしまいそうだった。セレンは自分を助ける為にここにきたのだ。この場所がネイバーの予定ルートから大幅に離れているから、それが分かる。しかし葵は、セレンの戦意を削ぐ言葉をかけてはならない。
事実、今回の襲撃はセレンのせいでここまで被害が広がってしまっている。
葵は、断腸の思いで叫びを上げた。
「行くんだ! あんたはネイバーフッドなんだから!」
デストブルムのアイカメラが緑から赤へ変わる。
『んんっ!』
セレンの怒った声に合わせ、デストブルムの触手が持ち上がった。
「行きなさい!」

しかし——葵に触手が降り下ろされる事は無かった。
『うぇえええぇえぇ! うえぇえんっ!』
セレンの泣き声が大音量で木霊した。
デストブルムはゆっくりと葵の指差した方向へ移動を始める。
シルエットだけ見れば、大きな魔女っ子帽子をかぶったロボットは、ゆっくりと葵から離れていく。セレンの泣き叫ぶ声だけが生々しく辺りに響き渡った。
葵は前髪を両手で掴む。罪過の鎖が葵の胸をキツく締め付けた。
「……ごめん、セレンっ、ごめん!」
出来る事なら代わってあげたい。自分が代わりに行くからと言ってあげたい。
しかし、これはセレンにしか出来ない事なのだ。魔女の烙印を押され、祭壇に捧げられた、セレンだけの呪い……。葵は己の無力を呪うことしか出来なかった。
「どうして私たち……こうなっちゃったんだよ」
葵の言葉が血だまりの戦場に残響した。
球体状の室内——内側全てがモニターになっており、外の情報が三六〇度四方で流れ込んでくる。中央に機械仕掛けの柱が立つ。
その柱にセレンが身を預ける。その様は十字架に張り付けられているようだ。
パイロットスーツの繊維はゴム素材に似て、締め付けるように肌に密着している。
セレンの細いウエストは、より細さが際立つ。身長に反して大きく実った胸元は、繊維素材をパンパンに張らせている。情欲を催す蠱惑的な肢体だ。
彼女の首は、椅子の突起部分と文字通り連結している。セレンは首を動かせない状態にあるが、意識を通じて自在にモニターの映像が切り替わった。
ここはデストブルムのコックピットである。
『セレンティーナ特務、このままポイントB8へ移動を。味方の退避が済んだ後、面制圧を開始します。目標はBエリア全域とポイントC1、C2,C3です』
ネイバー専任のオペレーターである、誰かもわからない女性の声が届く。
「いや……もういや」
自分にあそこまでの事をしておいて。皆が当たり前のように命令してくる。それがセレンには悔しくて悲しくて……もう耐えらなかった。
「闘うの……ヤなの。痛いのイヤ……怖いのイヤ、もう全部……ヤなの」
セレンの心からの呟きを、オペレーターは平坦な声で潰す。
『セレンティーナ特務、前方にポーン出現。さらに後方二〇〇メートル、ルーク二体接近。このまま前進しつつ迎撃を』
命令だけが一方的にコックピットへ。
「もう……イヤ。助けて、誰か……誰か、」
モニターにポーンやルークが映る。表示されたターゲットカーソルが、セレンの恐怖を大きくした。恐怖が恐慌を誘う。セレンの感情が飽和へと近づいていく。
セレンと一体化した黒い魔女が、重い頭部を持ち上げた。
『来るな……来るなぁ……もう来るなぁああああぁ!!!』
デストブルムの外部スピーカーから、セレンの叫び声が響き渡る。
デストブルムはセレンの声を雄叫びに換え、己が到来を島全域に告げた。
帽子状の後頭部——ツバの裏側部分のハッチが何十と開く。
おびただしい量の弾頭群が顔を出した。計一四四基のミサイル発射管である。
『特務! 味方の退避がまだ!』
爆音————破壊の胞子が絶え間なく天へと昇っていく。
『うわぁああん! あぁあああぁ!』
まるでミサイルのゲリラ豪雨だ。
近くにいた敵が塵に還る。爆炎の災禍が放射状に広がった。
セレンは泣く。感情をコントロールできない子供が癇癪を起こすように。
セレンの感情に同調した黒い魔女は、この島に破壊の大渦を巻き起こす。
ほぼ同時刻——機兵部は狩りに夢中で、先ほどから生途会の退避命令を無視していた。
『ねぇ! 部長がいないからって、さすがにやりすぎじゃない!?』
『さっきの魔女の声だよな? 生途会も下がれって怒鳴りまくってるし』
『部長さまの命令違反にお咎めがないんだぜ? 俺らも大丈夫だって』
戦騎装の通信機を通して三人の部員が話す。そんな三人のコックピットに警告を示すビープ音が鳴った。ミサイル接近を示すものだ。
『下がれガキども!』
見かねた自衛隊の戦騎装パイロットが、オープン回線で怒鳴り声をあげる。
その直後、数十本の火柱がポイントB全域に立ち上った。
『セレン!』
デストブルムのコックピットモニターに、血相を変えた紫貴が映し出された。
「ごめん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい」
紫貴を見るや、セレンが目に見えて怯え出す。セレンは相貌と唇を震わせ始めた。
『違う、怒ってない。でもどうして……足並みをそろえてくれないの』
紫貴のそれは糾弾ではない。哀切にも似た求めだった。だが紫貴の言葉はセレンに届かない。セレンは何かに怯えるように「ごめんなさい」だけを繰り返している。
『貴女が苦しいのは分かってる……でも……私たちは貴女に頼るしか——』 「きゃぁああぁあっ!」
紫貴が言葉を繋ぐ中、突如、セレンが絶叫を上げる。小さな体が海老反りに跳ねた。
セレンは、全身を針で刺されるような激痛に見舞われる。尋常ではないセレンの悲鳴がコックピットを満たす。セレンが体を反らすたびに涙の粒が飛び散った。
それを見て、モニターに映る紫貴が瞠目する。その顔が憤怒に染め上がった。
紫貴は唾を飛ばす勢いで別箇所へ通信を飛ばす。
『どうして【懲罰痛覚】が入っているの! 即刻、切断しなさい!』
セレンを襲っていた激痛が止む。セレンは身体をぐったりとさせた。声を殺してまた泣きだす。
『九重生途会長。特務は今回、逃亡を図ったのです』
『だから【懲罰痛覚】を入れたって言うんですか!? これは越権行為です! 氷室義塾の了解も得ずに!』
『お言葉ですが、特務の先ほどの行為は誤射で済ませられる話ではありません。【自戒プログラム】がなければ第三次防衛ラインにいた友軍機は全滅していたでしょう』
搭乗者の思考をダイレクトに体現するデストブルムは、構造上、どうしても乗り手の感情を拾ってしまう。
先ほどのセレンのように、感情が爆発すると誤って味方まで攻撃する危険性がある。
そんな、搭乗者の暴走を抑えるのが【自戒プログラム】だ。
デストブルムは攻撃範囲に友軍がいる場合、乗り手の意思に関係なく、自動的に着弾ポイントを修正するようにプログラムされている。
また、プログラム発動を条件に搭乗者に激痛を与えることもできるのだ。
それが【懲罰痛覚】
これは直接人間の痛覚を刺激するので、搭乗者は傷口を抑えたりして、痛みを誤魔化すこともできない。その名の通り搭乗者を罰し、懲らしめるためだけの機能。
セレンが泣いて謝っていたのは、これが怖かったからだ。
『搭乗時の精神状態を鑑みなかった私たちにも責任はあるでしょう! 情状酌量の余地は十分にあります!』
『特殊戦時においてネイバーフッドに人権は適用されません。特務が大命を放棄したせいで、自衛隊側には既に一〇〇名近くの死傷者が出ているのです……自重を、九重会長』
モニターの紫貴は顔を険しくする。やがて後ろ髪を引かれるような顔で通信を切った。
『これより戦闘フローを、修正頁の十一へ移行します』
オペレーターの声が流れる。デストブルムのメインモニターの映像が拡大された。
ポイントB8の更に向こう——十九キロ先の洋上にソレはいた。
『クイーン種を確認……終わらせてください、セレンティーナ特務』
海面上に浮かぶ一匹の怪物。
身体はルークよりも二回りほど大きい。
肉の翼を羽ばたかす。腕が左右会わせて八本ある。代わりに足と首がなかった。
胸部と腹部に人の顔が付いている。
胸部の顔は、白い玉を幾つも吐いていた。腹部の顔は、同じように小さな黒い粒を一塊にして海に垂れ流す。
白い玉と、黒い粒は、産み落とされると爆発的に大きくなる。それらは数秒でルークとポーンに変貌を遂げた。
【クイーン種】である。敵の親玉が島のすぐ傍まで近づいていた。
「………ふ、ぐ」
セレンは涙をに濡れた顔を上げる。アレを倒せば解放される……地獄から抜け出したい一念が、戦意という小さな刃をセレンに持たせた。
セレンはクイーンのいる方角にデストブルムを向ける。
帽子のツバにあるスラスターが点火した。
セレンはデストブルムを海めがけて飛翔させる。その大きさからは想像もつかない速さでデストブルムは進む。敵も味方もいなくなった丘陵地帯を通り過ぎる。
しばらくすると沿岸部に辿りついた。
モニターを見てセレンは慄く。先ほどの掃除も空しく、クイーンの生み出したポーンとルークが、浜辺に集結しつつあった。
「クロ」
セレンの命にデストブルムが応える。
左右に侍らせている蔓状のマシンアームが持ちあがった。
さながら蕾が花開くように、マシンアームの先端が展開する。その先に黒い光球が形成された。
黒い光球が爆ぜる—————ほの暗い光が一直線に突き進んだ。
光線が通り抜ける。射線上にあった全ての物体は消失した。
ポーンは影も形も残っていない。洋上を歩いていたルークたちも、腹に大穴が空いたり、上半身が消えたりしていて、程なく海へと沈む。
IMEカノン——クイーン種のみが用いる無差別物質消去(IME)(Indiscriminate Material Erasure)と呼ばれる攻撃方法と、同じ破壊原理をもつ殲滅兵器である。
黒い光は触れたもの全てを消失させる。この光の前に物体の頑強さは関係ない。
ネイバー規格ではデストブルムだけが持つ特殊兵装である。
セレンは、この場所から逃げ出したい一心で幕引きの準備に取り掛かった。
「クロ……ぜんぶ消して」
セレンが呟く。
彼女の願いに見合う、最大魔法をデストブルムは展開する。
背後の四本の鉄塔、それが厳かに正面へ。連結音を鳴らしてスライドする。四本の鉄塔は砲身に姿を変えた。大口径のIMEカノン砲である。
デストブルムは四つの砲口に、黒い光の大玉を作り始める。
「これで、終わり!」
デストブルムのアイカメラが緑から赤に。
黒い光が肥大していく。光は臨界まで押さえつけられ……轟音を率いて解き放たれた。
海が割れ、四本の放射光がクイーンめがけて伸びていく。
見守る誰もが終幕を予感した。
過去、何度も戦闘を終わらせてきた黒い光が今、放たれたのである。
ゆえに、だれがそれを予期しただろう。
「マァアアァアアァアアアアアアアアアアアァ!!!!」
クイーンの胸部と腹部の顔が、狂ったような叫びを上げた。
セレンは広がる光景に総毛だつ。クイーンの前方に見えない壁が出来たかのように、
黒い光が飛散していくではないか。
「そ……ん、な」
愕然とセレンが呟く。
デストブルムが魔法を撃ち終えても……クイーンは無傷で立っていた。
セレンは全ての襲撃をこの兵器で終わらせてきた。デストブルムが持つ、最大火力の魔法である。この異常事態は、鮮明な死の予感をセレンに植え付けた。
「いや……、いやぁああああああ!!」
デストブルムは、クイーンにミサイルの雨を降らせ始める。
司令室は騒然となっていた。
中央モニターには、沿岸部の様子が衛星映像で映し出されている。モニターのデストブルムは、クイーンにマシンアームを取り押さえられ、身動きが取れないでいた。
「艦砲射撃は要請しているんだろう? 何分かかってんだい」
雷鳥が一人の役員生徒に言う。
「撤退させた護衛艦隊を呼び戻していますが、到着には最低でも十分は要するかと!」
「自衛隊の戦騎装は?」
「第七戦騎装中隊はポイントC3で交戦中! 第九・第一〇戦騎装中隊はデストブルムの爆撃被害で、ポイントC5を迂回して向かっているとのこと! 現在、第四次防衛ラインの三個・戦車中隊がそれぞれ向かっていますが、まだポイントCエリアに着いていません! 第二特化の自走榴弾砲なら支援可能! ですがデストブルムにも当たります!」
「どいつもこいつも」
雷鳥は悪態をつく。次々と指令を下して状況を打開しようとする。しかし、悲鳴交じりの報告が増えていく。
「向かっていた護衛艦隊が、近海で認めたルークと交戦を開始! 駆逐艦二隻が撃沈!」
「本部管理中隊(CCV)より入電! 敵の増殖著しく、前進は困難! ダメです! ポイントCから下へ行けません!」
「UNのネイバー18番機は? 米軍はまだ飛ばしてないのかい?」
雷鳥は別の役員に聞く。
「それが、カリフォルニア基地に繋がらないんです! 先ほどから自動音声回答が繰り返されているだけでっ! 現在、作戦行動中! 我らが同胞に幸あらんことを! 向こうのオペレーターに繋がる気配すらありません!」
その返答に、雷鳥は苦虫を噛み潰した顔になった。
「土壇場でやってくれたね……そこまでして明星を使わせたいかい」
雷鳥は頭を切り替え、別の手を打つ。役員たちも雷鳥に続く。
今、この場にいる誰もが手を止める余裕などないはず。しかし、九重紫貴だけは何故か動いていなかった。
目を丸くし、レーダーに映る一つの光点を凝視している。
識別マーカーは黄色の[?]マーク————正体不明機(アンノウン)を示すマーカーだった。
「コレは、なに?」
反応は第弐富士の上空二〇〇〇メートル地点。
黄色いマーカーは、猛スピードで高度を縮め、この島に向かってきていた。