Eirun Last Code

ヌイグルミと魔女

 西暦1999年・9月9日—————人は生態系の頂点ではなくなる。
 謎の巨大生命体。
 世界一〇八箇所に同時発生したソレは、大地を、動植物を、人間を、噛み千切った。

 国際連合(UN)は、怪物を悪意(マリス)と呼称……敵性生物と認定する。
 散発的に起こるマリスの襲撃を、人類は文明の粋である戦術と兵器で撃退し続けた。しかし、マリスが人の敵でなかったのは十五年の間だけ。
 マリスは劇的な進化を遂げる。瞬く間に人類との力関係は逆転した。

 僅か数年で十億もの命が奪われた。
 世界情勢は瞬く間に様変わる。平和の二文字は地球上のどこにもなくなった。
 そんな劣勢の人類に転機が訪れる。

 武器の獲得と生贄の誕生。
 対マリスの切り札となる武器【ネイバー】を、先進各国が手に入れ始めた。
 そして何より大きかったのは生贄・優先被虐対象者【ヘキサ】が生まれたことだった。
 各国政府は、最優先でマリスに狙われるヘキサを隔離・管理し、囮として利用し始めた。そしてそれは、西暦2070年、現在も続いている——————

 

 ——誰か、

 

 最新の科学技術が盛り込まれた司令管制室——スーパーコンピューターがダース単位で並ぶ。正面には巨大なモニター画面だ。左右にサブモニターが一台ずつある。その内装は、どことなく映画館を思わせた。
 そこで濃紺の士官服を着た少年・少女達が奔走する。
 青のリボンタイ、右耳にインカムをつける。情報を送受信する彼らの右手の甲には、
 ヘキサの証たる【六角形の刻印】が刻まれていた。

「最終確認に入ります」

 一人の少女が中央に立つ。
 大人びた美貌は、冷たい印象を少女に与える。ロングの艶やかな黒髪は、日本人特有の美を宿す。纏う雰囲気も外見通り、実にクールなものだ。

「本土の避難状況はどうですか?」

 彼女・九重紫貴は、お決まりの確認作業を始めた。

「戒厳令は依然、発令中です。東海圏はほぼ完了。首都圏もあと六区となっています」
「順調のようですね。国土交通省から許可は降りましたか?」
「道路封鎖は、ほぼ完了。関東・東海圏、走行中の全列車は、徐行にて最寄りのシェルターステーションに避難。完全終了にはあと三〇分ほどかかるそうです」
「水増しで嵩ませているはずです。リニアと新幹線が退避したらこちらもOKでいいでしょう」

 ヘキサ特別教導軍事学校・【氷室義塾】
 若年層ヘキサの育成と、マリス戦を専門にする戦闘組織である。彼らは、(各省庁を含む)国家並びにそれに準ずる様々な有権機関に命令を下せる権限を持つ。
 紫貴は次々と各省庁とやり取りを行う。全ての確認を終えると上の方を向いた。

「司令。前提状況、すべてクリアしました」

 一段、高いところにある管制スペースは司令席だ。豪奢な毛皮のコートで身を包む。司令席に座す老婆は、シワだらけの笑みを紫貴たちに送った。

「今日もいい仕事っぷりだ」

 老婆の名前は氷室雷鳥——この氷室義塾の最高責任者である。
 雷鳥は煙草を一本取り出す。ゆっくりとした動作で火を付けた。

「第弐富士の全関係各所に通達。戦闘状況をAに移行させな」
「「了解!」」

 雷鳥の一声で、一斉に生徒が各々の通信箇所に発令を行う。
 紫貴も、インカムのスイッチを入れた。

「こちら生途会。生途会・九重会長より、本部管理中隊(CCV)。これより作戦を開始する。ポイントD4に第五戦車中隊(ニーマルTK5)を投入。支援砲撃は第一特化中隊(イチゴーHSP1)と第二特化中隊(イチゴーHSP2)。ポイントはそれぞれ、C5とC8」

 【生途会】とは氷室義塾の情報統括機関で、彼らのことを指す。
 生への途(道すじ)という意が掛けられ、つけられたネーミングである。

「ネイバーはどうなってる? あとどれくらいで出れそうだ?」

 雷鳥が担当の男子生徒に問う。男子生徒は何も喋らないまま雷鳥の方を向く。まるで幽霊でも見たみたいにその顔は青かった。雷鳥はまた聞く。

「なんだい?」
「ネイバーフッドが……逃亡しました」

 雷鳥を含め、全員に衝撃が走る。その報告は数万もの命を脅かすものだった。

 

 ——誰か……、

 

 日本第弐ヘキサ保管領・東富士人工島。通称【第弐富士】
 静岡県東部の南方一〇〇キロ洋上に位置する、総人口・七万人の要塞型巨大人工浮島(メガフロート)である。海底隆起した小島に横付けするように浮かぶ。

 収容ヘキサは六千人……日本最大のヘキサ保管領となる。
 氷室義塾に所属するヘキサと、それを補佐する部門別の専門班。そして一万四千人の自衛隊員がヘキサの防衛任務に就く。
 またヘキサの親族を始めとする民間人や、各施設で働く職員たちも、ここ第弐富士で生活を営む。島には繁華街ブロックなども設けられ、完全に一つの都市として機能している。
 現在、第弐富士の隣小島では砲声と爆発音が起こっていた。

 

 ——お願いだから、誰か。

 

 一本の廊下が通り、複数の教室が並ぶ。人は誰もいない。
 そこへ黒スーツ姿のエージェントが階段から躍り出た。エージェントは廊下を一直線に走り抜ける。廊下端のゴミ箱の前に立った。
 手に持つGPSを確認するや、エージェントはそのゴミ箱をひっくり返す。菓子ゴミや空き缶が散乱した。散らばったゴミの中から十字架のストラップが出てくる。

「なんてことを」

 それは、ストラップを模した小型の発信器だった。

「こちらネームW。ネイバーフッドは発信器を捨てていた。カメラの記録だと、そう遠くへは行ってないはずだ」

 男は通信を切ると、またその場を駆け出した。

 

 ——誰か、誰か、

 

「う! んん!!」

 重い鉄製の引き戸を、小柄な少女が体重を乗せて引く。少女は人一人分くらいの隙間をやっとの思いで作った。

「シロ!」

 足元に置いていた白いアザラシのヌイグルミを掴み取る。身体を挟み込むようにして中に入る。内側から戸を締め、鍵をかけた。

「は! は! は!」

 ここまでずっと走り続け、少女の心臓は爆発してしまいそうだった。しかし少女———セレンティーナ・エングヴィスは休もうとはしない。
 秀麗な眉に、ライトブルーの大きな瞳。肌は透き通るような白さだ。白いワンピースを着ている。例えるなら西洋人形……可憐さと整った美を、セレンは併せ持っていた。
 だが、セレンの美貌は今、恐怖に歪んでいる。金色のロングヘアーを揺らし、必死に身を隠せそうな場所を探した。
 セレンは体操用のマットレスを見つける。
 立てかけられていたソレに手を伸ばす。拍子でマットレスが倒れ、セレンの体は下敷きになる。マットレスはカビ臭くて、ひんやりと冷たかった。

「ふぐ、」

 

 セレンは、ここが寒かった事に初めて気付く。動くのを止めると、鳴りを潜めていた不安が暴れ出す。無限の荒野に一人、放り出された気分だった。

「ぇえ、うぇえ、」

 ずっと我慢していた涙が、青い瞳から溢れる。
 セレンは止まらない涙を拭う。
 右手の甲にはヘキサの刻印があった。ただし、セレンの刻印には六角形の中に【㈵】のローマ数字が刻まれている。全く同じモノが細いうなじにも。
 それは、セレンを苦しめる呪いの象徴だった。

「誰か……わたしを、たす、けてぇ」

 少女の嗚咽は、一緒に下敷きになったヌイグルミにしか届かない。

   
   

 隣小島の最南端——沿岸部では黒煙が漂っていた。
 浜辺に投棄されたゴミのように、装甲車の残骸や迫撃砲が散らばる。スクラップになった戦車もだ。浜辺の泥に混じって、点在するのは血の池だった。

「やめ! ぎぃいぃいぃいぃ!」

 其処かしこで断末魔の悲鳴が上がる。どれも動物みたいな声だった。
 一人の自衛隊員が砂浜にへたり込んでいる。自衛隊員は一方だけを注視していた。

「第一次防衛ライン……壊滅。撤退許可を。繰り返す。撤退許可を」

 トランシーバーに向かい、同じ言葉を繰り返す。
 彼の正面では二匹の【怪物】が餌を奪い合っていた。
 餌とは、最後まで戦線を支えた彼の仲間である。
 一匹が仲間の腕を無造作に掴む。もう一匹が仲間の足を持った。

「やめ! やめや! んぎぃいあゃああぁ!」

 へたり込んだ自衛隊員に血がかかる。バケツでぶっかけられたような量だ。自衛隊員は目を見開いたまま動かない。

「はぁああぁ」

 全長は四メートルを越える。唇が無く、牙は剥き出しだ。口元に滴る血を、大蛇のような舌で舐め取る。四肢は丸太のように太かった。
 この怪物こそ、人類が絶滅を回避するために戦う外敵————【マリス】だった。
 食事を終えた二匹は、へたり込んだ自衛隊員に視線を定める。

「化け物どもが……」

 自衛隊員はトランシーバーを落とす。すぐさまホルスターから拳銃を抜くと躊躇なく自分の頭を吹き飛ばした。

   

「捜索を急いでください。既に敵は第二次防衛ラインに入りました」

 紫貴はしっかりとした口調で言い放つ。
 司令室の右側モニターに、隣小島の立体マップが浮かぶ。
 大量の〔兵士〕の形をした赤マーカーが、もの凄い速さで隣小島へ入ってきていた。

「生途会より本部管理中隊(CCV)。戦闘フローの七項から一二項までを廃棄。次の命令を待て」
「司令! 侵攻速度が予想を大きく上回っています! 上陸開始から一〇分で……八八体? オペレーション・アケノミヤと同程度です! 第一次防衛ラインは壊滅!」

 男子生徒が報告する。司令席の光学パネルを叩く雷鳥は、動じる素振りを見せない。

「悪いことは続くもんだね。第二次防衛ラインは現状維持。とにかく敵を食い止めるんだ」
「了解! 生途会より本部管理中隊(CCV)。ポイントC3にいる第四戦車中隊(ニーマルTK4)へ通達。戦線を維持せよ。繰り返す、戦線を維持せよ。撤退は認めない」

 生徒達は、即座に雷鳥の命令を発信する。彼ら【生途会役員】から届けられる戦況を
 通じ、雷鳥は盤上を動かす。

「まったく、うちのお姫様は何処に行っちまったんだい」

 雷鳥は困り顔でボヤいた。

   

 真っ暗な密室は埃にまみれていた。
 被さってきたマットレスの中でセレンは息を潜める。
 セレンが逃げてきたのは、氷室義塾の体育館にある用具室だ。
 此処に至るまで、目につく鍵は全て閉めてきた。体育館のマスターキーは何日も前に盗み出し、捨てている。予てより計画してきたモノだった……今回のセレンの逃亡は。
 発信器も捨ててきた。プレゼントだと騙され、ずっと持たされていた物だ。

 ——もう、乗らない。絶対……イヤ。

 セレンは唇を噛む。戦闘中、生徒が校舎内にいることは無い。学徒兵として各々の持ち場へ急行しているからだ。セレンはその盲点を突いたつもりだった。

「!?」

 セレンは跳ねるように上体を起こす。外から音が聞こえてくる。重機を走らせるような音だ。セレンは「大丈夫」と小声で呟く。何度もだ。
 締めてきた鍵の数。誰にも見つからず、ここに来た事。あの倉庫扉が重く、頑丈だった事も。セレンはそんな、大丈夫の要因を必死にかき集めた。
 だが、次の瞬間——

「っ!」

 轟音と共に巨大な〔拳〕が現れる。壁をぶち抜いて。瓦礫がセレンの周りで散らばった。
 残響が渡る中、外の世界が一気に広がる——セレンの視界は望まずともソレを映す。
 無くなった壁の向こうで鉄の巨人が身を屈める。レンズ仕掛けの機械眼が収縮を繰り返す。巨人の瞳が、怯えるセレンの姿を捉えた。
 セレンは頭が真っ白になる。ここまで予想していなかった。いや……ここまでする)とは思わなかったのだ。セレンは現実を拒むように、頭を横に振り始めた。
 巨人の脇をくぐって、自衛隊員たちがなだれ込む。

「いやぁあああぁ!!」

 セレンは逃げだそうとマットレスから這い出る。しかし、その小さな体はたちまち自衛隊員たちに取り押さえられた。

「いや! もういやぁああぁああぁ!!」

 冷たい倉庫に少女の悲痛な叫び声だけが鳴り響く。

「一五四八。ネイバーフッドを発見、これよりネイバーへの搭乗作業に移る」

   

 第弐富士の南隣に接する、この小島は戦場として扱われる。
 小島は三日月型をしており、第弐富士を小島が囲っている形だ。マリスは必ず南海から攻めてくるので、第弐富士に行くにはどうしてもこの小島を通らなければならない。

 ここはポイントC3——剥き出しの土が広がる丘陵地帯だ。
 西側・第二次防衛ラインの戦車部隊は、壊滅寸前まで追い込まれていた。
 生き残った戦車三両が、休まず一二〇ミリ戦車砲を発射する。
 砲弾を掻い潜り、何十ものマリスが驀進していた。土砂の波飛沫ぐらいではまるで怯まない。その様は怒り狂った水牛の群れだ。

 戦車砲で、数匹のマリスが地面ごと吹き飛ばされる。しかしマリスの減る量と、進軍してくる量はまるで釣り合いが取れていなかった。
 マリス迎撃は「近寄らせない」のが鉄則だ。
 組み疲れたら絶対に勝ち目がないからである。射程ギリギリから砲撃を繰り返し、一定まで近づかれたら戦線を下げていくのがセオリーである。

 だが今回は勝手が違う。彼らには撤退はおろか、戦線を下げる事も許されてなかった。
 一台の戦車がマリスに襲われる。
 マリスの前では鉄の装甲など役に立たない。その腕力は天蓋部を包装紙みたいに破く。主砲も同じだ。鉄柱のような砲身が、抱擁一つで簡単にへし折られる。
 そして中の人間が、次々と踊り食いされるのだ。

 その例に倣い、戦車から一人が引きずり出される。マリスは大口を上げた。

「やめやめやめ! ぅあっぶ!」

 男の首から上が無くなった。口元に血糊をたっぷりつけ、マリスがまた口を開ける。
 そのマリスを銃弾が襲った。射線は上からだ。銃弾は戦車内の人間を巻き込んでマリスを穴だらけにする——
 銃弾は戦車部隊の後方、丘の上から放たれたものだった。
 一人の自衛隊員が半狂乱で機関砲の弾をばら撒く。その者の視界で仲間が喚いた。

「お前! まだ中に生きてる奴がっ!」
「生きて喰われるよりはマシだ! 習わなかったのかよ! それよりネイバーはどうした! なんでまだ出てきてねぇんだよ!」

 怒鳴り返し、砲手は下に向けて機関砲を打ち続ける。

「二二小隊も全滅だ! もう俺らしか残ってないぞ!」

 武器テントからランチャーを担いできた自衛隊員が言う。その自衛隊員も持ってきたランチャーで応戦した。
 戦車部隊を蹴散らしたマリスが、今度は彼らを狙って丘を登りだす。ベソをかいて手榴弾のピンを抜いた者が叫んだ。

「救援要請は何度もしてるだろっ! 戦騎装は応援にきてくれないのかよっ!」
「来れる訳ねーだろ! 本丸でヘキサどものお守りだチキショウ! 俺らは……使い捨ての駒かよぉおお!!」

 別の者も半ベソをかいて機関砲を撃ち始めた。

「うあぁああ!! 一匹登ってきたぞ!」

 マリスがとうとう高台に到達する。仮設バリケードが玩具のように吹き飛ばされた。
 マリスは手近にいた砲手に襲いかかる。周りにいた自衛隊員は、銃口をその一匹に定めた。その間も二匹、三匹とマリスが高射台に集まってくる。

「もう駄目だ!」

 一人の自衛隊員が逃走しようとすると——

「!?」

 マリスが一斉に動きを止める。全てのマリスが、同じタイミングで同じ方向を見た。襲われていた自衛隊員たちも本能的にマリスと同じ行動をとった。

『伏せて!』————スピーカー越しで女の声が響く。

 声の主を見るや、この場にいる全員が脊髄反射にも似た速さで動く。
 轟音、次の瞬間、一匹のマリスの頭半分が無くなる。残った舌ベロが勢いよく跳ねた。
 銃撃の嵐が巻き起こる。銃声が、地面に伏せた自衛隊員の内臓を揺さぶった。マリスが次々と撃ち殺されていく。身体を抉られ、踊るように絶命する。
 高台に登ったマリスが、あっという間に駆逐された。

『救援要請をしていたのは、ここの部隊だよね』

 自衛隊員が皆、顔を上げる。
 彼らを救ったのは、全長十一メートルの鉄巨人だった。
 シャープなデザインの細身。アイカメラをつけたヘッドギアのような頭部。顎の下から二本のセンサーを伸ばす。
 両肩には旋回用のブースターを付ける。腰後ろに燃料タンクを二基、差し込む。

 カラーリングは頭から足まで赤だ。肩には氷室義塾所属を表す、六角形のヘキサグラムに突き立てられた剣のマークがペイントされている。
 戦闘用騎乗型巨大兵装——【戦騎装】だった。
 戦騎装の外部スピーカーから、女の子の声が流れた。

『こいつらは私が引きつける。すぐ西側第三まで後退して』

 戦騎装が丘を滑り降りる。すると周辺一帯のマリスが、一斉にその後を追いかけ始めた。

   

 コックピットモニターに映るマリス達を見る。
 機兵部・部長の一ノ瀬葵は目を細めた。

 ドライヤー焼けした茶色のセミロング。力強い目元は一七の少女に当てはめるには悲しいまでに研ぎ澄まされている。
 黒と赤の、機械パーツを織り込んだ防護服を纏う。
 繊維素材が密着し、しなやかなボディラインが見てとれる。均整のとれたスレンダーな体つきだ。優雅さだけでなく、力強さも感じさせる。

「あの様子……もしかして生途会は」

 葵は戦騎装を回転させた。戦騎装がバック走に切り替える。
 携行する戦騎装運用アサルトライフル【スイートビー】を構えた。
 葵が操縦桿のトリガーを絞る。四五ミリ口径の特大マシンガンが唸りを上げた。
 マリスの身体が、紙細工のように千切れ飛ぶ。—首がなくなる。—手がもげる。—腹に風穴があく。マリスの死体がバウンドしてゴミみたいに転がっていく。
 しかし、幾ら仲間が殺されようと関係ない。そんな事は意に介さずマリスは葵の戦騎装を執拗に追い回す。

「追ってきな! 今なら銃弾もサービスだ!」

 マリスの習性——それは兎にも角にも、ヘキサを優先して襲ってくるというものだ。
 葵が現れた途端、マリスが彼女一人に標的を変えたのも、その特性による。
 葵が属す【機兵部】は、氷室義塾の戦騎装部隊で、特に操縦適性の高いヘキサたちで構成される。操縦技能だけでいえば、各国の正規軍パイロットすら凌ぐ実力者たちだ。

 だが機兵部は戦闘部隊としての機能を求められていない。
 機兵部の主目的は戦場操作……つまり囮。
 高い操縦技能を持ちながらも、ヘキサ達は戦うことを求められていない。餌に目がくらんだマリスを誘導する為に、葵たち、ヘキサは戦場を駆け回るのだ。

「多い。三十はいる……この分だと中央の第三に着くころには、百を超える」

 葵は後退しつつ、モニターに映るマリスを着実に撃ち殺していく。

『アノ肉オレノ!』
『オレノ頭!』
『オレノ目玉!』

 戦騎装の集音スピーカーがマリスの声を拾う。

「中央で戦闘が始まれば戦線を上げる。でももし、この数にわき腹を突かれたら、」

 経験則から葵は展開をシミュレートする……即断した。
 操縦桿グリップの先を親指で回す。
 メインモニター左端にある〔後退〕という赤の電光文字が〔前進〕という緑の電光文字にスイッチした。
 戦騎装の足下に備えられた巨大タイヤ(ロードホイール)が煙を上げて急ブレーキ、それから一気に逆回転した。
 戦騎装が前進に転じる。一匹のマリスの片足を捕まえた。逆さに一本釣りし——

「ここでやるしかない!」

 地面に叩きつける。岩盤が割れた。マリスの頭も。
 飛び散った肉片が、戦騎装の装甲に血化粧を施す。

「こっちだ! こっちに来い!」

 葵の戦騎装が手に持った死体を捨てて滑走する。
 葵の戦騎装は、単機でマリスの群れを殲滅し始めた。

   

 白と黒の(拘束具を思わせる)パイロットスーツに着替えさせられたセレンが階段を上る。セレンの前後を黒スーツの男が歩く。辺りは暗い。
 階段両脇にある非常灯を目安に、セレンは足元を定めた。胸にアザラシのヌイグルミを抱く。

「早く歩け!」

 セレンの背中を後ろの黒スーツが押す。セレンは怯える眼差しで後ろを見た。セレンの眼を見て、男は更に激情する。

「お前が余計な事したせいで俺はなぁ!」

 唾を飛ばしてセレンの髪を毟り上げる。セレンは痛みに負けてヌイグルミを落とす。青い瞳に涙が溜まった。

「おい! 止めろ!」 「特殊戦闘時にネイバーフッドが逃亡なんて……こんな不祥事、起こさせやがってよぉ!」

 上司の制止を聞かず、部下は目を血走らせて拳を上げる。

「いい加減にしないか!」

 部下の手を上司の黒スーツが掴んだ。

「今は乗せるのが先だ!」

 部下の黒スーツが悔しそうに口を紡ぐ。乱暴にセレンの髪を離した。
 髪を放されるや、セレンは落ちたヌイグルミを拾う。涙が溢れてボロボロと落ちた。
 セレンはしゃがんだまま、ヌイグルミに「シロ、シロ」と語りかける。

「起きるんだ」

 上司の黒スーツはセレンの腕を掴み、無理やり立たせた。

「役目を果たせ、ネイバーフッド」

 照明が一挙に着く。【巨大ロボット】の頭部がセレンの視界いっぱいに広がった。

   

 司令室の右側モニターに、隣小島の状況が立体映像で映し出されている。
 戦車や人型などの、青い友軍マーカーがマップ中央で三角形に陣形を組む。
 そこから少し離れた西側エリアで、〔人型〕の青マーカーが、〔兵士〕の赤マーカーを次々と消していた。

「なんで? 一ノ瀬部長の機体です!」

 生途会の女子役員が声を上げる。皆が似たような反応を示した。
 紫貴はすぐ自席の有線電話を取る。コール音が司令室に響いた。しばらくするとモニターの横隅に葵の顔が映る。

「一ノ瀬部長、どうしてそんな所にいるのですか。機兵部は中央・第三次防衛ラインで待機。これから陽動が控えているはずです」
 紫貴が映像の葵に問う。
『紫貴……西側の第二次防衛ライン、ガタガタだった。戦うどころか逃げることも難しいくらい。とっくに救援要請は出してたでしょ? なんで引かせなかったんだよ』

 葵は感情を抑えるように聞いた。他の役員たちは息を呑む。

「貴方には知る権限がありません。命令です。すぐ所定の作戦行動に戻りなさい」

 紫貴が命じる。しかし葵は冷めた笑いで返した。

『言わなきゃ私はここにいる。あと私にまでその喋り方? すっごいムカつくんだけど?』

 葵は低い声で言う。怒りを抑えているのが見てとれた。紫貴はやがてため息を吐く。長い黒髪を耳に掛け直した。

「二個戦車小隊を向かわせる予定だったわ。合流後の撤退がこちらの描いていたプランよ」
『嘘……マーカーなんて一つも動いてなかった。だから私が行ったんだ』

 葵が言うと紫貴は瞳を微かに揺らす。葵はそれを見逃さなかった。

『紫貴、答えて。本当は切り捨てるつもりだったんじゃないの? 西側の第二次防衛ライン……全部』

 葵の質問に司令室が凍りつく。紫貴はまたため息を吐く。今度のため息は重かった。

「……ネイバーフッド(セレン)が逃げ出したの」

 それを聞いて葵は絶句する。みるみる顔が蒼褪めていき、視線を下に落とす。

『セレン、が?』

「この分だと、機兵部のいる第三次防衛ラインの撤退にも被害が及ぶ……ヘキサに犠牲は出せないのよ」

 紫貴は、参るように額に手を添えた。

「被害を最小限に留めるためだったのに……あなた、ヘキサ(自分)の戦術価値を何だと思っているの。こんなときに仕事を増やさないで」

 それを聞くや、葵は火がついたように怒り出した。

『人が死んでるんだよ!』

 葵の怒声が司令室に響く。

『紫貴は血を見てないからそんな事が言えるんだ! 最小限!? 人の命を数で括るなよ!』

 烈火のごとく葵は怒った。葵につられたのか、紫貴もその表情を氷にした。

「第六次防衛ラインが突破されたら次は第弐富士よ? 六万人近くの民間人とヘキサが喰われることになるわ。一元的な物の見方で悪者にしないでちょうだい」
「あー、待った待った待った。ストップ。もう終わりだ」

 静観していた雷鳥は、場を納めるように口を挟む。

「葵、油売ってないでさっさとポイントB8に行きな」

『聞いて塾長! いつもより勢いが強いの! このままだと挟撃されるかもしれない!
 昨日、退院したばかりの子もいるの! 乱戦なんかさせられないよ!』
 葵は雷鳥を見るや、まくしたてた。雷鳥は厳しい口調で返す。

「今は司令と呼びな。それに、それを考えるのはアンタの仕事じゃない。アンタはアンタの仕事をしな」
「でも……でも、生途会は仲間を切り捨てて——」

 葵は紫貴を非難するように見る。紫貴は顔を強張らせた。

「そんな連中の言うことなんて、私」
「甘ったれたこと言ってんじゃないよ!」

 雷鳥が一喝する。紫貴も葵も目を丸めた。

「現場(そっち)にも統率(こっち)にも仕方ないって事は山ほどある。ちなみに第二次防衛ラインに継戦指示を出したのは私だからね。紫貴の判断じゃあ無い。自衛隊(あいつら)の場合、のたうち回って死ぬことも給料に含まれているんだ。ヘキサ(アンタ)たちが死ななくて済むなら私は幾らでも切り捨てる……今までは、たまたまそれをする必要がなかっただけさ」

 雷鳥の言に葵は肩を落とす。雷鳥は葵の様子を見て語調を和らげた。

「だが私はアンタのそういうところが気に入っている。良い女になるよ。アンタも紫貴も」
『……一ノ瀬機、作戦行動に戻ります』

 

 葵は憂い顔で通信を切る。
 右側モニターでは、一ノ瀬機のマーカーが青マーカーの集団に向けて再び移動を始めた。紫貴は切り替えるように軽く深呼吸をする。

「……司令、お手を煩わせました」
「気にしてないよ。それで田中? セレンは見つかったかい?」

 紫貴の礼を流し、雷鳥は軌道修正するように別の男子生徒に聞いた。

「あ、はい、どうやら体育館の用具室に立て込んでいたそうです。自衛隊が戦騎装を用いて強行突入したと報告が来ました。現在、搭乗準備に入っていると」

 その報告を聞いて、紫貴は僅かに顔を俯かせた。

 ——セレン、

 悲しみで胸が重くなる。でも状況は紫貴に悲しむ間を与えなかった。

「ルークが上陸します! 数二〇!」

 女子役員の一人が報告する。
 生途会に緊張が走った。
 右側モニターに映る隣小島の立体マップ——海岸部に〔兵士〕の赤マーカーよりも大きな〔砦〕の赤マーカーが何十と現れ始める。

「全部後だ。一刻も早くネイバーを出すよ」
「「「了解!」」」

 役員たちは応え、一斉に各々の通信に戻る。
 皆が動き出している中、紫貴だけは自分の席のチャンネルを変えて何かを見ていた。

 ——私なら……首を吊っているかもしれない。

 それは男たちが女の子らしき人影を、何かに押し込んでいる映像だった。耳を澄ますとモニターからは泣き叫ぶ声、抵抗を窺わせる雑音が聞こえてくる。
 取り押さえる男たちの足元にはアザラシのヌイグルミが落ちていた。

「セレン、ごめんなさい。……私を許して」

 紫貴は小さな声で言うと、モニターの映像を消した。